四代教主・金光鑑太郎君をお偲び申し上げる

四代金光さま(金光鑑太郎さま)

今日は四代教主さまのご命日であります。私の東京道開きの初願は、ご晩年の三代金光さまに御取次をいただきましたが、常盤台教会教会長ご任命は、四代金光さまにいただきました。

四代金光さまは歌人であられ、書家でもあられました。自由闊達に詠まれ、書かれたものは、常に私たちのこころを救い、助けてくださっております。

昨年新しくなった「いのりの本」にも、「一日一首四代金光さまのお歌」が掲載され、私たちは、日々のご祈念ごとに、金光さまにみ教えを賜っております。

今年元日に、畏れながら、ふと口にしたお歌は「すべて世話になりつづけ来て今日をある老いわが今のいのちなりけり」というものでした。元日の日記をつけながら、歌集「土」を拝読させていただきなが、でありました。

昨年10月、81歳を迎えさせていただき、しみじみと「すべて世話になりつづけ来て」というところにたいへんありがたく感じさせてもらい、ひとりで熱いものがこみあげました。と同時に、このご恩にお報いするにはどうしたらいいのか…と思わせていただきました。

ずいぶん前のことですが、信徒会の役員のひとりが重病にかかり、生死の境をさまよっていたので、ご本部に参拝して、金光さまに御取次をお願いに参ったことがあります。お結界に進み出て、「どうか、いのちを助けてください」と申し上げると、四代金光さまがきっとしたお顔つきで「お願いの順番が違うておる!」とおおせられました。

いつもは「はい、はい」とお答えくださるのに、はじめてあのようなおことばをいただいた私はただ「すみません」と、申し上げるほかはありませんでした。

金光さまは「あんたが、こうしてお参りできたことを、どうしてお礼申し上げぬのか? この人が、ここまで生かされていることを、どうしてお礼申し上げぬのか?」と、噛んでふくめるような調子でおおせられまいた。

私は、もう涙がとまりませんでした。「金光さま、相済まぬことございます。お願いばかりが先になって、肝心なことを忘れておりました」と、こころからお詫び申し上げ、お教え通りに、お礼を申し上げ、そしてお届けをさせてもらいましたら、金光さまは、いつもと同じやさしいお顔に戻られて、「はい、はい」とお答えくださり、御取次をしてくださいました。

後にも先にも、はじめてのことで、いまでも瞼を閉じると、あのときの金光さまのお姿やお声がが浮かんでまいります。信心の「いちばん肝心なところ」をお教えくださった四代金光さまでありました。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

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