金光大神の直信・島村八太郎の伝える金光大神ご理解

日枝神社の使わしめは「猿」 先代教会長も申年生まれ

「馬は馬連れ、牛は牛連れということがある。神の取次は神がするのじゃ。真の信心ある者は神なり。ゆえに、神の取次ができるのじゃ。狐や蛇や鳥のようなものが、なんで神の取次ができるものか。何の神は狐が使わしめ、何の神は蛇が使わしめと、いろいろなことを世の人が言うが、金乃大神は、神の子の人をもって使いとなさるのじゃ。」 (金光教教典・理Ⅰ島村八太郎7 P.327)とあります。

「つかわしめ」とは、神の使者のことです。神社には神使と呼ばれる動物がいます。「神のつかわしめ」と呼ばれ、神の眷属、御先神とも考えられ、神に先駆けて出現し、あるいは神の意志を知る兆しとされます。お稲荷さまは狐を使わしめとされ、山の神は狼を使わしめにされると言われているように、神が動物を使わしめにするのは珍しいことではありません。

ところが天地金乃神さまは、愛し子である人間を使わしめにされると教えられています。つまり、神を信じ、神を立てぬき、神の氏子として御神願をいただいて、その具現に奉仕する人間でなければ、天地金乃神さまの使わしめはできないからであります。

教祖金光大神さまは、それを「お差し向け」と受け止められ、一農民でありながら、生涯を生神金光大神取次に捧げられたのです。すなわち、自らを天地金乃神の使わしめとして、誇りをもって生きられた「あかし人」であります。しかも、「この方がおかげの受け初めであり、信心すれば、だれでも受けることができる」と、保障されています。

「神を使う者はいるが、神に使われる者は少ない」とも諭されています。「神に使われる者」とは、すなわち神と人との立ち行きのために奉仕する「神の使い」のことを言われていると思います。 天地金乃神さまの使徒として、お役に立たせていただくことが、私たちお道の信奉者の使命であると思います。

日々の生活が「神の使わしめ」として恥じない生き方となり、そこから「人を助けずにはおかぬ」というお道開きの願いが生まれ、「われひと共に助かる」お道をあかしすることが、私たちの使命であります。

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