生地獄の様相

関東大震災 被災直後の銀座周辺

今から94年前、大正12年(1923)9月1日、震源を伊豆大島付近の海中に発し、関東地方南部を襲った大地震により、約190万人が被災し、死者・行方不明10万5千名以上、全壊建物10万9千棟以上、全焼建物21万2千棟以上という未曾有の被害があった。

ちょうど、その年の1月、湯川誠一師(後の銀座教会初代)が玉水教会初代教会長(湯川安太郎師)の願いをうけて東京布教に出られ、弱冠二十歳の三宅歳雄師(後の泉尾教会へ布教)は一書生として湯川師ご夫妻に随行していて、大震災に出遭われた。銀座木挽町にあった銀座教会広前は、地震で建物は崩れず持ちこたえたが、火災によって焼失してしまった。

震災後、湯川先生ご夫妻は大阪へ戻られ、東京に一人残された三宅歳雄師は、一時浜離宮へ避難し、その後麻布教会に預けられ、身をもって阿鼻叫喚の巷の姿を体験、そのとき「東京助け」の御神願をいただき、祈られたという。

師願継承

「東京助け」の師願継承を願われる

三宅歳雄師は25歳の時(関東大震災から5年後)、昭和2年(1927)に、玉水教会初代教会長の命をうけ、泉尾教会に布教された。そして、大震災から40年後(昭和38年・1963)に「東京助け」の願いが成就したのである。泉尾教会長の次男、三宅美智雄師は新規布教を願い泉尾教会において信心修養を務めていたが、三宅歳雄師の「師願」を継承して、東京へのお道開きをわが願いとして受けたのである。

それが常盤台教会のお道開きである。その出発に際し、「アホでもできる一所懸命」とのお言葉を下げられた。常盤台教会初代教会長・三宅美智雄師の後を継いだ二代教会長・三宅道人師は、常盤台教会の広前で御用をいただかれ、来年(平成30年・2018)には、「東京助け」御神願55年ということになる。

教会長に任ぜられる

東京助け祭

常盤台教会参拝口前にて、三宅歳雄師・龍雄師
御神璽を捧持されてこられた、泉尾教会三宅歳雄師と三宅龍雄師 常盤台教会参拝口にて

15年前の平成14年(2002)から、9月朔日の感謝祈願祭を「東京助け祭」と名称を変え、教祖金光大神からつながる「人助け」の御神願である、三宅歳雄師の師願をいただき直す願いをもって仕えられている。さらに平成11年(1999)8月31日にお国替えされた三宅歳雄師の報徳祭に併せて、常盤台教会お道開きの布教功労者報徳祭が併せて仕えられている。

常盤台教会歴代の教会長のみならず、信奉者一同がここからの「助け・助かり」の信心を誓うお祭りとして「東京助け祭」を今年も新たなこころでお迎えさせていただいた。

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