常盤台教会初代教会長・三宅美智雄師は、昭和三十七年夏、かねてからの願いであった「アメリカ布教」を父であり師匠であった(泉尾教会長・三宅歳雄師)にお願いしたところ、「金光さまにお届けしてくるように」とのことで、ご本部広前に参拝し三代金光さまにお届けした。金光さまからは、「東京布教がよろしい」とのお言葉をいただいた。数日後再び参拝し、四代金光さまに「東京のどこに場所を定めたら、よろしいか」と地図を持参して「しるし」をつけていただきたいと申し上げた。すると、「明日、もう一度お結界に来るように」と言われた。翌日、御取次をいただくと、地図に「しるし」をつけたものをお下げいただき、それから上京して、布教地探しをはじめた。
この日、常盤台教会お道開きの地を東京都板橋区常盤台1丁目28番14号と決定されたことが発表された。
泉尾教会から東京へ出発。1月7日に三宅家宅祭、8日に初月次祭を終え9日、泉尾教会上げて東京へ向かう美智雄師家族を見送った。
泉尾教会(大阪)を出発。現在地にお道開きの第一歩をふみ出す。(予備布教所開設)この時、泉尾教会大恩師親先生(三宅歳雄師)から「あんたの死に場所を与えられた。アホでもできるいっしょけんめい」とお言葉をいただく。
予備布教所看板の前に立つ三宅美智雄師
泉尾教会より神璽・霊璽を奉遷。
6畳敷きから18畳敷きへと広前を増築。
教主金光さま(四代金光鑑太郎さま)から認可を受ける。
参拝口を新設、トイレが屋外に増設された
常盤台住宅地の象徴的な作りの大谷石を塀に使う
大祭時には門扉にご神紋の提灯を掲げた
泉尾教会では現会堂新築後、初めてのご大祭がこの日仕えられた。
信徒会新年総会に合わせて、「祈りの福引き」「祈りのぜんざい」をはじめる。
異宗教間での姉妹教会宣言は、現在でも異例なことで、宣言以降両教会は様々な諸宗教間対話、宗教協力活動を板橋区内で続けている。
美智雄師、Paulus PP. VI(第262代ローマ教皇・ジョヴァンニ・バッティスタ・モンティーニ聖下Giovanni Battista Montini)にガンドルフォ城(カステル・ガンドルフォ Castel Gandolfo)にて単独謁見。
三宅美智雄師、第一回世界宗教者平和会議参加(京都)。会議部長と事務局に奉仕。
諸宗教間の対話と相互理解から生まれる英知を結集し、平和のための宗教協力を行うNGOで、国際連合経済社会理事会より非政府組織カテゴリーⅠの資格を有している。
信友の病気平癒全快を共に祈願する「とも祈り」がはじまる。
ガールスカウト東京第107団発団
三宅美智雄師は、世界宗教者平和会議(WCRP)日本委員会 青年部会初代幹事長に就任。
常盤台教会を育成母体としたボーイスカウト東京326団の発団式が行われた。
「教会と私とあなたを結ぶ」をコンセプトに信徒会報『ル・ポン』が創刊された。
ル・ポン=Le pontはフランス語で橋を意味する。
「助かりの宮」の新築造営計画を発願
天地金乃神祭・月霊祭時にいのちの御礼として、誕生者は玉串を奉奠した。
徒歩1-2分の場所へ遷座、仮広前とする。
泉尾教会・三宅歳雄師が「願い石」に願い文を揮毫される。
仮広前から新会堂に三宅美智雄師と三宅道人師が「みとばり」の中へ入り、ご神璽・ご霊璽を捧持して奉遷の儀が仕えられる。
春の御大祭に併せて、新築落成奉告大祭が執り行われた。
川上功績関東教務所長と湯川信直銀座教会長の両師からお祝いの言葉をいただいた。
富士霊園に教会奥津城として、墓地が建立される。
奥津城には、三宅家奥津城と納骨堂・納骨願主家名碑があり、納骨堂には教徒信徒の御遺骨が納められている。月毎の墓地参拝と春秋には、墓前祭ならびに納骨霊神の例年祭(年毎の霊祭)・式年祭(1・3・5・10…年毎の霊祭)が仕えられる。
「日本さくら名所100選」の富士霊園の桜は、約1,000本の染井吉野と約7,000本の山桜があり、春には墓前祭に併せて観桜会を開き、秋には見事な紅葉が楽しめる。
常盤台教会拝詞集「おいのり」の第3版が刊行
写真は、同年本部広前にて執り行われた金光教祖100年大祭団体参拝
1984年8月、「宗教による平和への道:東洋の提唱ー西洋の応答」のテーマで、IARF(国際自由宗教連盟)第25回大会が東京で開催された。その海外参加者の一部が、常盤台教会に参拝され、信徒宅へのホームステイプログラムの受け入れをした。
美智雄師、財団法人 金光教東京寮評議委員に就任
美智雄師、本部広前大祭祭典前の教話を奉仕。
これまで常盤台教会布教記念日として、毎年2月11日に「布教記念祭」が仕えられてきたが、お道開き「御神願祭」と改めてこの年より執り行われた。お道開き24年目。
美智雄師は、金光教平和活動センター設立の前年(1987年)、金光許広島平和集会記念講演にてセンター設立と平和実践として「一食お捧げ運動」を提案。翌年金光教平和活動センター設立総会にて同センター理事に選任された。
庭野日鑛師(立正佼成会)、山田能裕師(比叡山延暦寺)、田澤豊弘師(松緑神道大和山)、川井清敏師(大宮八幡宮)が来教。
道人師と立正佼成会板橋教会青年部有志、常盤台教会青年部有志は、会議前に庭野師を囲んで、世界平和への思いを指導願った。
道人師、ハワイ・金光教ホノルル教会(当時 児玉喜久代教会長)へ修行に入るため出立。
文書布教として『あかし』『ル・ポン』の発行にワードプロセッサ(リコー製スター9000)を導入。
これまで手書き、和文タイプライターで編集・製作してきたが、さらに編集効率と質が上がった。
1月7日午前6時33分、十二指腸乳頭周囲腫瘍(腺がん)のため昭和天皇が崩御となり、2月24日新宿御苑で執り行われた「大喪の礼」に合わせて広前において遙拝式が仕えられた。
美智雄師は、世界宗教者平和会議 日本委員会 理事会・評議委員会において事務総長補佐に就任。
富士霊園内にある教会奥津城の改修工事(納骨堂扉改修)を行った。
「地球を緑を守ろう」をテーマに、板橋区平和公園において立正佼成会板橋教会青年部、カトリック板橋教会青年部と常盤台教会青年部合同の実行委員会を組織して平和集会が開催され、区内宗教青年約1500名が参加した。
小雨の中の開催であったが、美智雄師が登壇し世界平和を願って来場の諸宗教青年に向かい、「世界平和と友情の手をつなごう!」と呼びかけ傘を置いて手を取り合うと、雨が上がり会場に日が差してきた。
金光教ホノルル教会布教60周年記念大祭が、ホノルル教会の親教会である甘木教会長祭主のもと、教会お広前にて麗しく記念大祭が執り行われた。北米、日本からも大勢の参拝の中、常盤台教会から美智雄師夫妻はじめ12名が参拝。事前に常盤台教会青年部員1名が事前準備のため10日前より出発。
祭典後には吉備舞「大楠公」が奉納され、祭主安武文雄師がご教話奉仕された。会場を移してホノルルカントリークラブにて開かれた直会宴では、ハワイ州知事(代理)、ホノルル市長はじめ多くのゲストが集い、60周年を祝した。
お道開き30年を目指して、信徒会組織を一新してプロジェクト30が発足された。
板橋区立特別養護老人ホーム「みどりの苑」において、おむつたたみボランティアを週一回のペースで開始。
その後、清掃奉仕・散歩介護なども逐次追加実施された。
第5回平和集会において、イラクがクウェート侵攻したことに端を発し、湾岸戦争が勃発したことに対してアメリカ・ソ連・イラクの各大統領に武力による解決を避け、平和的解決を訴える電文を打つ。
金光教教師育成機関である、金光教学院に入学。
常盤台教会のロゴマークが決定・奉納
教会内で公募されたロゴマークは、御大祭にて発表され御神前に奉納されました。
羽を広げて力強く羽ばたく姿は、すべての人々に心を開き、対話と協力を願い、特に平和のために諸宗教との対話と協力、相互理解を推進し「われひと共に立ち行く」世界真の平和実現への願いを意味しています。五つの尾翼は、「喜・信・願・行・祈」の信心実践を表し、限りない前進をめざして飛びつづける信心のエネルギーを表現しています。
広前に大型のエアコン設備を新設。
美智雄師は、本部広前金光大神大祭で教話奉仕。講題は「金、光る」
美智雄師はじめ、常盤台教会一行(10名)は11月23日の健康安全祈願祭後、成田空港よりホノルルへ向かい、ハワイ教務所長・ホノルル教会長 芳野正彦師、ワイパフ教会長 安武哲郎師、ワヒアワ教会長 矢野 師他、在布信奉者と共にパンチボウル・メモリアル(米国・太平洋国立戦没者墓地)チャペルにて戦没者慰霊追悼の祭典を執り行った。(祭主・美智雄師 祭員 矢野 師)
翌24日、米国政府主催の「真珠湾攻撃50年記念式典」準備が進められる中、一行はアリゾナ記念廟にて特別許可の下、戦死者名簿が刻まれる石板前に天地書附を掲げ、持参した5千の祈りの折り鶴を捧げ「お詫び祭り」が執り行われた。(祭主・美智雄師 祭員・矢野師)祭典では英文で祭詞が奏上され、特別参拝者として米海軍将校が玉串を奉奠された。
25日、一行はハワイ州知事、ホノルル市長を表敬し、祭典の報告をした。その後ホノルル教会を会場に、諸宗教諸派対話集会を開催し、ホノルル在住のPL教団・立正佼成会・解脱会・真言宗・カトリック・メソジスト派から代表者が参加され有意義な意見交換がなされた。この集会を契機にWCRPハワイの設立(1993年10月創設)につながることとなった。
泉尾教会初代大奥さま、三宅ツ子師はこの日午前7時40分お国替えされました。(享年88歳)
葬儀は10月1日泉尾教会広前にて、翌2日には告別式が玉水教会長祭主のもと厳かに仕えられた。
銀座教会初代教会長は「湯川成一師」とありますが、「誠一師」です。
猪俣様、コメントありがとうございます。
実は、もともと「成一」先生でありました。