どこで買うてきたん?

龍笛のお稽古で、師匠がこんな話をしてくださいました。(師匠の)師匠が、笛の音を聞いて、「アレ?あんた(師匠)の譜本どこで買うてきたんや?ワシの持っているのと違うやろ?」と言われたそうです。例えば、龍笛には「かけ吹き」という奏法があります。「ヒィチ」と奏でなければいけないところをうまく吹けずに、「ホヒィチ」と「ホ」が入って聞こえるのです。そこで、「あんたの譜本には「ホヒィチ」と書いてあるはずや、私の持っているのには、そんなの書いてへん」と言われるのです。

金光教は祭典楽として、中正楽(ちゅうせいがく)を奏楽します。

つまり、当時の私の師匠は、知らない間に自己流になってしまい、譜本通りに吹けていなかったので、指摘されたということです。
勢祈念で先唱の御用をさせていただいていると、よく後ろ(参拝者)の声が聞こえます。そこで感じることをいくつか申します。取次唱詞を例にしますと、私の拝詞集には「真一心に願わしめたまえ」と印刷されています。しかし、「真ぉー一心にぃー願わぁーしめーぇたまえぇー」と印刷されている拝詞集を持っておられる方がいます。語尾を伸ばすのがクセになっているのでしょう。拝詞の最後を伸ばすのは、極端に伸ばさなければよいのですが…。
私のとは違う拝詞集を持っておられる方(笑)は、大抵(決めつけてはいけませんが…)、どこから声を出しておられるのかと思うような妙な唸り声だったりします。不思議なことに、他の人にそのクセが伝染します。

いかにありがたそうに拝みことばを唱えても、心に真がなければ神にうそを言うのと同様である。拍手も、無理に大きな音をさせるにはおよばない。小さい音でも神には聞こえる。拝むにも、大声を出したり節をつけたりしなくても、人にものを言うとおりに拝め。

金光教教典抄 『天地は語る』169

ヒガミコンコウーダイジーン

また、「生神金光大神さま」ではなく、「ヒガミコンコウダイジン」を拝んでおられる方もいます。笑い事ではなく、実際常盤台教会で行われた諸宗教間対話のワークショッププログラムで、金光教の祈りに参加された他宗教の方が、「ヒガミコンコーダイジーン」ってどういう漢字を書くのですか?とマジメに質問されました。聞き慣れた耳では、ちゃんと聞こえていたはずなのに…爾来気に掛けるようになりました。

神前拝詞や金光大神賛仰詞では、必ず毎回同じところで間違う人もいます。祖先賛詞では、「み慈しみ(みいつくしみ)」を「みうつくしみ」と唱えていたり…。こういう人は、拝詞集を読んでお唱えせず、間違ったまま空(そら)でお唱えしているのでしょう。できれば、拝詞を目で(読んで)いただき、お唱えして、耳でいただく、内容を噛みしめてもらいたいのです。どうしても拝詞集を持たずにお唱えしたいという方は、しっかりと言葉と意味を頭に入れてください。

語先後礼

皆さんは、「こんにちは・ありがとう」など挨拶・お辞儀をするときには、言葉と礼をどのようにされていますか?「語先後礼」というように、言葉を述べて礼をするのがマナーです。つまり、先唱をする場合は、頭をあげて先唱の言葉を唱える。拝詞の最後は、終わってから平伏するのです。これができていない人がいます。

勢祈念

本教では、仏教の声明やキリスト教の祈りのように、拝詞のキー(音階)や読み上げる速度が決まっていません。ですので、勢祈念においては、先唱者のキーとスピードに合わせて唱えます。つまり、先唱者の声をよく聞くのです。お一人でお唱えするときは、マイペースでも構わないのですが、勢祈念ではそうはいきません。勝手に突っ走ったり、妙に伸ばしてペースを乱す方がおられます。「勢」祈念ということを理解して、皆ともに心をひとつにして、お唱えさせていただきましょう。

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