こころの器づくり

堪忍

先日、自分にとっては、到底納得のできないことがありました。相手のとった態度や言動は、私の名誉を傷つけました。その人は日頃は、愛想もよく、前向きな発言をしていました。しかし、今までの言動はうわべだけのもので、本心ではなかったのかと思うようなほどショッキングなものでした。
私は何日間かそのことで悩みました。私に非が無い訳ではありません。むしろ、足りないところばかりです。自分とその人との関係、周りで協力してくださっている方の事など、一つひとつ思い返してみました。一度は「もうその人との関係を切って、一切辞めにしてやろう」と決心したのですが、思い留まることにしました。やはり、今までお世話になったことを考えると、そうもいきません。その人も、私のことをよくよく考えての言動だったに違いないと思い直すことができました。
この一件で、数日間の予定がすっぽりと空いてしまい、色々なことをゆっくりと考えることができました。特に自分の足りないところや、弱さを気付かせていただきました。その数日間は、「大切な時期こそ、自分のことだけを考えずに、じっくりと物事を判断せよ」という神さまからのシグナルだったのかもしれません。

トサカに血が上る

腹を立てることを「頭に血が上る」といいますが、血液が頭以外の所に行かないとなると、大変なことになります。しょっちゅう腹を立てていると、心身ともに悪影響を及ぼすことは間違いありません。
教祖金光大神さまは、「信心する人は、第一の心得が、腹の立つことがあっても腹を立てないようにせよ。腹を立てては家内に不和を起こす。人と仲違いをする。世間を見よ。後にはわが身を捨てるものがある。これは堪忍が足らないのである。堪忍は、ごく大切なものと心得よ」と御理解下さっております。腹の立つようなことは身の回りにたくさんあると思います。教祖さまは、そういう状況にあっても腹を立てるのは、自分自身の心の有り様次第、それが堪忍であるとおっしゃっています。さらにもう一段信心が進むと、堪忍は腹の立つのを押さえ込んでいるので、腹の立つことを知らないようになるとあります。そうすると、それは身の薬になるというのです。腹が立つのは心身に悪影響を及ぼすならば、それを知らないというのは、身の薬になるということは、教祖金光大神さまのいただかれた天地の道理なのです。

教祖さまのみ心そのままに

教祖さまのおっしゃるようになるには、心の器つくりが必要ではないかと思います。器の大小は何を基準に比較すればよいか、分からないという方もおれれると思います。しかも、他人さまと比べるものでもないかと思います。ではどのようなものなのでしょうか。

こころの器は、変幻自在であります。まずは、常に神さまと共にという方向に口を空けることから始めるとよいでしょう。あらゆる物事に対して、教祖さまのみ心そのままにキャッチすること。これができるように稽古させてもらうことが、器つくりの第1歩になるのではないでしょうか。
何事も天地に生かされている自分、その働きに応えて生きていく自分を発見できれば、すべてを良いように受ける、そこに感謝と喜びの心が生まれてくるはずです。

御神願の道を歩む

教祖さまは、神を忘れ、天地の道理に背いた今の乱れた世の中を、「人代」と申されました。人間の心の乱れは、世の中が狂い、神・天地の狂いへと繋がっていく恐れがあります。まずは、神さまと自分との関係を正すところから始めましょう。難儀な状況から抜け出すには、これしかありません。
自分の関係回復のみならず、世の中の人々が心に神さまを現す道、すなわち御神願の道へと共に歩んでいくことが私たちの役割なのです。神さまと共に、天地の道理に根ざした心を「私からあなたへ」伝え広げていきましょう。

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